竜の王と竜の姫 第三十二話


「お前達…… このように路上に布陣するだけで、あのヴォルディアックの奴に本気でたてつこうというのか? そもそも、お前達とは規格からして違うのだぞ、あの男は」
「誰だてめえは! いきなり、現れたと思ったら、変な魔法使いやがって!」
 アル様の怒声に魔女がアル様の方を振り向く。文字通り見下ろすようにそっとその視線をアル様に向けた魔女は、冷ややかに笑う。おそらく、ここにいる魔女以外の誰もがその笑みに戦慄を覚えただろう。拙者も、殺気とも邪気とも判断つかない、そのただならぬ雰囲気に気圧されて、思わず一歩分後へと後ずさる。
 何だろう、この圧倒的な威圧感は。メイ殿がその技量から恐れ慄くのとはまた違う、まるでそう、あの塔で竜に出会った時のような感覚。いや、それをはるかに上回っている。理屈ではなく、体が恐怖に引き裂かれそうになる、そんな感覚を拙者は肌に覚えた。
 おそらく、拙者の生存本能が、あの魔女が自分よりも数倍危険な物であると、そう継げているのだ。あの、ただの女にしか見えない魔女が、先日戦ったドラゴンよりも危険な者であると。
 これが、魔人の相棒…… だとしたら、魔人に拙者たちは勝てるのか……
 思わず緩んだ手の内から、ショートソードが零れ落ちる。その音で、拙者ははっと我に返った。勝てる勝てないは、今考えるべきではない。ただ、全力で戦うのみだ。
 拙者は背中に担いだバスタードソードを構えると、アル様の方へと駆け出した。
「メイ殿! メイ殿は、急いで村に戻って、先ほどのノイ殿の言伝を伝えてください! 拙者はアル様に加勢します!」
「…… わ、わかったわ!」
 拙者の向かうのとは反対方向に緩やかに消えていく足音。ここから村には随分と距離があるが、その時間くらいは何とか稼いでみせる。
 拙者は、アル様の前に歩み出ると、魔女の前に立ちふさがった。
「控えろ! 魔人の相棒の魔女と見受けるが、このお方に手は出させん!」
「鉄仮面!」
「アル様! あの魔女の相手は拙者が! アル様は、魔人の相手を!」
 そう言って、拙者は剣を構えなおす。といっても、相手は空中である。どうやって、戦えば良いものか。まず、地面に引き摺り下ろすには……
 などと、相対して対策を思案している拙者の前で、何を思ったか魔女はいきなり声をあげて笑い始めた。まるで、拙者たちの姿がこっけいだと言わんばかりに。
 その侮蔑がこもった笑いに、沸々と拙者の中に怒りがこみ上げてくる。
「貴様達…… 本当に面白い奴らだ。本気で戦うつもりで、しかも自分達の力を我々と同じと勘違いしている…… まったく…… 愚かとは、こういうことを言うのだろうな……」
「黙れ! 貴様など、拙者一人で十分だ! それよりも、早く魔人を出したらどうだ! それとも、貴様の相棒は、敵を前にして姿を隠す臆病者か!」
 冷たい視線が拙者の顔を射抜いた。ぞくりと、感じないはずの悪寒を感じ、拙者はまたしても思わず後にあとずさりそうになった。必死にそれを、踏みとどまるものの、その殺気に今にも拙者の体は顔から真っ二つに引き裂かれそうだ。
 そんな、拙者をあざ笑うかのように、魔女は口元を吊り上げた。
「だから、それが勘違いだと言うのだ…… ヴォルディアックは、既に北のアンデット領…… 貴様たちの相手は、私と、私の魔法が作り出した下僕程度で十分なのだよ……」
「…… なに?」
 はっと、道の先に迫る赤い光に拙者は眼が行った。今気づいたが、それはこちらに向かって筆舌に値する速さで走ってくる。けたたましい砂埃。森を掻い潜り、細かい木々を蹴散らして、進んでくるそれは…… 赤い光に包まれた、リザードマンの群れ。
「まだまだ使えそうな死体があったのでな。私の魔法で、仮の命を与えてやったわ…… お前達を倒すのには、この程度が調度いい……」
 なるほど、ノイ殿が村の守兵で村の入り口を固めるように言った意味が、今やっとわかった。
 戦争だ。我々の予想を大きく覆して、敵は人海戦術でこの村に攻め込んできたのだ。
 先行してきた、虚ろな眼をしたリザードマンが拙者にその鋭い爪で斬りかかる。拙者は、咄嗟に身を横にずらし、流すようにその胴体に剣を這わした。真っ二つに、引き裂かれたリザードマンの胴より上が血飛沫を撒かずに宙を舞った。どうやら、死体というのは本当らしい。
「なんて、むごたらしい事を……」
「むごい? ふん、たかがアンデットくらいで、小うるさい奴だ…… しかしまぁ…… 私にこうもたて突くのは気に入らんな……」
 僅かに呟いたかと思った次の瞬間、銀色に光る魔女の腕。
 本能的にわかる。あれを喰らったら、間違いなく死ぬ。何がどうなって、死ぬのかはわからないが、あれは相当危険な魔法だと、本能が、肌を刺す空気が伝えてくる。だが、既に狙い済まされたこの状況で、どうやって、避ければいいのか。否、避けようとした瞬間に、あの光線は確実に拙者の背中を貫き、一瞬にして拙者を灰塵と化すだろう。
「お前は直々に私が殺してやろう…… 死ね……」
 咄嗟に剣を前に突き出すも、無駄だということは本能的にわかっていた。この分厚い剣すらも貫いて、あの光線は拙者を突き破るに違いない。
 まさかこんなにもあっけなく、やられてしまうとは。
 アル様、どうかご無事で……
 拙者は魔女の放った光に眼をくらませ、咄嗟に眼を瞑った。
「やれやれ…… とんだ、大物が相手のようだねえ……」
 響く声。そして轟音。ゆっくりと眼を開けた拙者の前に立ちふさがっていたのは、最長老殿であった。手から発した、透明な半球体のバリアーが、どうやら魔女の魔法を防いでくれたらしい。
「さ、最長老殿!」
「あんたじゃ、この小娘には敵わないよ、鉄仮面。アル、あんたもね…… とりあえず、こいつはワシに任せなさい……」
 そういうと、最長老は手を振りかざす。するとどうだろう、拙者の体が見る見るうちに、砂塵に化していく。周りを見れば、アル様達も同じように、砂塵になっていく。これは…… いったいどういうことだろうか。
「集団転送の魔法か…… 私の作った結界内で魔法を行使し、さらに失われた古代魔法を使うとは…… 老婆よ、相当の使い手のようだな」
「お前さんとは年期が違うからの…… 大魔王ロゼ様の近習をなめてもらっては困るのう……」
「面白い!」
 魔女が先ほどの光をまた手に蓄える。ついには、顔まで砂塵化していた拙者に微笑むと、最長老殿は、同じように自分の手に赤い光を蓄えた。
「あとは、しっかり、頼んだぞ。アル。そしてノイよ」
「最長老殿!」
「婆さん!」
「最長老様!」
 その瞬間、拙者の意識は、一瞬遠のいた。そして、次に気づいたとき。拙者たち全員は、村の入り口に、魔女と対峙していたときとすっかりそのままの形で立っていた。