竜の王と竜の姫 第十話


「どうしたの、おばあちゃん?」
 心配そうに老人の顔を覗き込みちぃが言う。眠っていたのか、少しばかりはっとしたように体を震わせ、老人は鉄仮面たちのほうへ顔を向ける。
 服装はおおむね、鉄仮面の村に住むエルフ達と相違ない。どこにでも居そうな、ごく普通の老婆だ。
「おやおや、お嬢ちゃん。心配してくれてありがとう。大丈夫じゃよ、少しばかり歩くのに疲れて休んでおったんじゃ」
 よしよしとちぃの頭をなでる老婆。見たところ悪い人間、もとい悪いエルフではなさそうだ。
「御老人、随分と軽装だが、いったいどちらまで?」
「少し、西村に用があってのう」
「その身なりで西の村へ? 随分と無謀な……」
 西村というのは、鉄仮面たちの住む村の俗称だ。大体だが、今居る場所から鉄仮面の足でも二時間は歩かなければならない。とても、老人の足でいけるような場所ではない。
「老いとは嫌じゃのう。昔はそう遠いとも思わなんだのに。しかしまぁ、いざとなったら旅人捕まえるなりして、何とかするわい」
「! ねぇ、それなら、お兄ちゃん!」
「ふむ。それなら、ちょうど良い。悪いがフィル、リンゴを持ってくれないか」
「はい、お兄様」
 鉄仮面はフィルに背負っていた籠を任せると、老婆の前に背中を向け屈む。それがどういう意味か
察して、老婆はフルフルとその手を振る。
「いやいや、悪いよお若いの」
「拙者たちもちょうど西の村に帰るところなのですよ。ですから、遠慮などなさらずに」
「そうだよ、おばあちゃん! それに、ここそんなに人通らないよ?」
 うるうると心配そうな瞳で老婆を見つめるちぃ。いたいけな子供にこんな顔をされて、意固地になる老人などそうはいない。すこし悩んだのち、老婆はいいのだろうかと鉄仮面のほうに目をやる。鉄仮面は何も言わずこくりと首を縦に振った。
「そうかい、それじゃあお言葉に甘えて。ありがとうね、お嬢ちゃん」
 よっこらしょと、腰掛けていた岩から腰を上げると、鉄仮面の首に手を回しおぶさる老婆。しっかりその体を固定したことを確認すると、鉄仮面は立ち上がった。
「じゃぁ、行くよ、おばあちゃん! お兄ちゃん、ちゃんとちぃに着いてきてね」
「はいはい。御老人、少し揺れるかも知れませんが、我慢してくださいね」
「ええ、ええ。しかしまぁ、お前さんこんな重たそうな鎧着て、その上ワシまで背負って、体は大丈夫なのかえ」
「あぁ、こう見えて鍛えていますからね。人の一人や二人、全然平気ですよ」
「そうかい、そうかい。こりゃまた頼もしい男が西村には来たねえ」
「そんなこと無いよ〜 お兄ちゃんなんかより、ちぃの方がよっぽどたよりになるんだよ〜」
「ちょっと、ちぃ殿…… まったく、手厳しいな」
 愉快そうに笑う老婆を背負い、鉄仮面達は再び歩き始める。あいも変わらずのちぃを先頭に、その後ろにリンゴを担いだフィルと老婆を担いだ鉄仮面が続く。
 皮肉はあったにしろ、どうやら、老婆との出会いで、すっかり機嫌が切り替わったのか、ちぃは普通に前を歩いていく。これは思わぬ拾い物だったのかも知れないと、鉄仮面は老婆のほうをちらりと振り向いた。キョトンと、老婆が首をかしげると、鉄仮面は前を向き、ちぃの背中を追った。
 と、ここで、クトゥラを置いてきている事を、鉄仮面は思い出した。ここから先の道は、特に険しいという道は無いが、老人一人おぶってだと、多少到着時間は遅れてしまう。
 悪い事をしたかなと、鉄仮面は歩調を速めフィルの横に並ぶ。と、丁度なんだろうといった具合に、フィルが鉄仮面のほうを振り向いた。
「すまないなフィル。少し、クトゥラを迎えに行くのが遅れてしまうが」
「え? あぁ、そんなこと。気になさらないでください、お兄様。クトゥラなら、後三日くらいならあのままで大丈夫ですよ。それに、お婆さんを置いていってしまったら、クトゥラに怒られそうですから」
 健気に笑うフィル。そう言って貰えると助かると、鉄仮面はほっと心の中で胸を撫で下ろす。
「はて、もしかしてそちらの娘さんも、何か訳ありかい?」
「え、あ、その……」
 不思議そうにフィルにたずねる老婆。とっさにどう答えて言いか迷って、フィルは言葉を濁す。
 鉄仮面たちにも、何故ここに来ているかをまだ話していないのだ。どう答えていいか、迷うのは無理も無い。
「ちょっと人と待ち合わせをしてるんですよ。そういう御老人は、西の村にいったい何の用なんですか?」
 とっさに助け舟を出したのは鉄仮面。話が深みにはまらなくて良かったと、ほっとため息を付くフィルを横目に、にこにこと老婆は微笑む。
「うむ、ちょっと孫の顔を見にのう。山に篭っておって、かれこれ随分と顔を見ておらんでのう」
「そうですか、孫ですか……」
「前見た時は、そこのお嬢ちゃんくらいじゃったかな。お嬢ちゃんによう似て、素直で愛らしい娘じゃったよ」
 しみじみと、感慨深そうに目を閉じる老婆。
 所帯すら持った事の無い鉄仮面であるが、なんとなくその気持ちが分かるような気がした。同じく、しんみりとした顔で、フィルも老婆を見つめる。
「しかし、良い娘じゃのう、お前さんの妹さん両方とも」
 その老婆を見つめていた目玉の収まっている面の皮が、一瞬にして二つ燃え上がった。絶句という感じに、口を横に結ぶフィル。一方で鉄仮面は、その光る目を輪状にして驚いている。
「い、いえ。その、そう呼ばれているだけであって、実際兄妹では無いんですが……」
 照れくさそうにそういうと、鉄仮面は体をゆすり老婆の体を持ち直す。見れば、隣のフィルも同じようにリンゴの籠を持ち直していた。と、目のあったがフィルが恥ずかしそうに咳払いする。
「その、私は鉄仮面さんが、実の兄とよく似ているもので、そう呼ばせてもらってるんです……」
「なんじゃ、そうなんかえ。二人ともよく似てると思うたんだがのう」
 真っ赤な顔を俯けて、一歩フィルが後ろに下がる。こんな事なら、兄と呼ぶ事をやめさせておけばよかったのかもなぁと、相変わらず顔の赤い鉄仮面は思う。
「すると、あの小さいお嬢ちゃんは?」
「私の主君の娘です。西の村の村長の娘と言った方が、分かりやすいかもしれませんが」
「へぇ、そうかい。こんな立派な娘さんをお持ちなのだ、村長はさぞ立派なお方なんだろうね」
「そうだよ、パァパはりっぱなだいまおうなんだよ!」
 自分と、自分の親がほめられたのがよほど嬉しかったのか、くるりと振り返るちぃ。
「大魔王?」
 フィルそして老婆が、ほぼ同時に首をかしげた。
「うん、そうだよ! パァパは、この魔界の王様なんだって! だからね……」
 そういって、辺りをきょろきょろと見回すと、ちぃは西方の高い山を指差す。
「あのお山の向こうがわも、はんたいがわのあっちのお山も、全部パァパのものなんだよ! けど、今は色々あって、他の人に貸してるんだって!」
 子供の戯言だろうとでも思ったのだろうか、困ったような視線でフィルが鉄仮面のほうを見る。その視線に気づいた鉄仮面は、フィルに向かって苦々しそうに笑う。
 さて、どう答えたものか。本物の大魔王とのやり取りを言ったところで、信じてもらえるとは到底思えない。何より目の前にちぃが居る。彼女はまだ母である本物の大魔王は、死んでいないと思っているのだ。そこら辺をうまくごまかして、二人に事の経緯を説明するのにはちと無理がある。とすると、無難なところでまとめるしかないのだろう。
「いや、まぁ、その。自称大魔王というか、まぁ、その、アル様の軽い……」
 フィルもそう思っている事だし、冗談で言っているという事にしてしまおう、そう鉄仮面が思った時だった。老婆が、いきなり愉快そうに笑い出した。
「くっくっく…… いや、そうかいそうかい、お嬢ちゃんのパァパは大魔王なのかい。それは凄いねえ」
「そうなんだよ、本当なんだよ! だからね、ちぃはまかいのプリンセスなの。だから、きよくただしくみんなにやさしくしなくちゃいけないんだって。そう、パァパが言ってたの」
「なるほど、それでお嬢ちゃんは、こんなにも良い娘なんじゃのぅ」
 どうやら、この老婆はちぃの言っている事を、鉄仮面が言うまでも無く冗談だと受け取ってくれたようだ。同じく、フィルもまた先ほどの驚いた表情から、柔和な表情に戻っている辺り、冗談だと受け取ってくれたのだろう。
「いやしかし。大魔王と聞いては、ますますその村長に会ってみたいのう」
「会われるといいですよ。多分、村に付くころには仕事も終わってらっしゃると思いますので、お孫さんとお会いしたあとにでも、是非」
「うむ、そうさせて貰うよ。実にすばらしい教育方針をお持ちのようだ。わしも孫に実践してみるとする」
 そういってまた愉快に笑う老婆。
 少し青みがかった東の空を見つめながら、鉄仮面たちは坂道をゆっくりと下っていった。