「僕の不幸せな青少年時代 その十」


 彼女と一緒に帰るようになってから三日後、僕は彼女にキスを迫った。なんてことはない、軽い子供がするようなフレンチキスだ。いつもの通りで、いつもの別れ際に、彼女がじゃあねと一歩前に出た所を捕まえて、腰に手をまわして、僕は彼女の瞳を見つめた。なに、と、間を開けて彼女は言った。それは五分にも十分にも感じられるような、そんな間だった。なんだかんだ言って、僕は女の子に迫るなんてことは今までしたことはなかった。迫られるようなことは、まぁ、あったけれども、自分からというのはこれが初めてだった。心臓の震えに共振するように震える手が歯がゆい。その手に浮かび上がった細かい斑点を見て、あぁそうさ僕はどうしようもないチキン野郎さと、心の中で自虐の叫びをあげた。本当にもう、どうしようもない。
 見つめあったまま、僕と彼女は暫くの間そうしていた。チキンな僕にそれ以上は何もできるはずもなく、電車があるから行くね、と、彼女は僕の手を振りほどいて駅へと消えた。何をやっているんだと、頭を抱えた僕は、縁石に腰かけた。ふと、空を見上げれば冷たい光を星が僕に浴びせかけてくる。星々の冷ややかな笑いを感じながら、僕は縁石の黄色く塗られた部分を撫でた。そこもまた、色に反して酷く冷たい。そうやって、縁石の黄色をした部分に手を置いたまま、僕はもしかして彼女が思い直して帰って来るんじゃないかという、淡く、それでいて都合のいい考えを信じて、暫く待った。
 彼女は帰ってこなかった。代わりに、僕の携帯電話にメールが届いた。彼女からだった。件名はごめんなさい、だ。開くのが怖かったが、開かない訳にはいかない気がした。なので、僕は決定ボタンを押して、彼女からの新着のメールを見た。文面は思ったよりも短く、貴方をそういう風な目では見れない、とだけ書かれていた。つまり、彼女にとって僕の存在は、男ではなく友人として捉えられているということだろう。それを嬉しく感じれば良いのか、それとも悲しむべきなのか。とりあえず、いつまでもこうして来るはずのない相手を待ち続けるのも馬鹿らしいので、僕は家に帰ることにした。
 翌日、僕は憂鬱な気持ちで予備校に登校した。勢いで、僕は昨日彼女にキスを迫ってしまったが。彼女は怒っていないだろうか。あれだけ仲良くしていた相手が、急によそよそしくなるだなんて。いやらしい話じゃないか。とりあえず、遅れて講義室に入って、彼女に挨拶しなくてはならないシュチーエションは勘弁していただきたい。僕はいつも通りに起きると、いつも通りに予備校に登校し、いつも通りに誰も居ない講義室の誰も座っていない机の前に座った。そして、もし、彼女が講義室に入って来ても気づかなくて良いように、前かがみに机に突っ伏すと、眠っているふりをしてみせた。
「眠ったふりなんて男らしくないのね」
 不意に後ろから声がした。誰かなんて、声を聴けば分かる。
「君かい、今日は君にしては随分講義室に来るのが早いじゃないかい」
「まぁ色々とあってね。ま、とりあえず、おはよう」
 うん、おはようと、返す俺。憂鬱な気分をすっかりと裏切って、彼女は元気だったし、僕と接するのに少しも戸惑っている様子はなかった。