「徳利さんは、苦学生な酒呑みだ」


 やめろよ、ここでアンタが飲んじまったら、俺が今までしてきたことが全部水の泡になるだろうが。俺はすかさず徳利さんと板前の会話に割って入ると、徳利さんがお酒を注文するのを制止した。やれやれ、好きな人にお酒は呑みますかと聞かれれば、はいと答えてしまうのが恋心だろう。板前さんよ結局の所は、全てはアンタが原因だったんじゃないか。昨日から今に至るまでの徳利さんにまつわる一連の苦労を思い出し、俺は憂鬱な気分になった。
 なぁ板前さんよ、この人に酒を飲ませちゃいけないってのは、アンタが一番良く知ってる事だろう。知っているのになんで酒を飲まないか、なんて酒を薦めるんだ。どうかしてるぜ。酒徳さん、アンタもアンタだ、自分が酒を飲むとどうなるか知っているはずだぜ、自覚してるはずだぜ。なら馬鹿正直に薦められるまま飲む奴があるか。曲がりなりにもここは居酒屋だ、そりゃ椅子に座れば板前が酒を勧めるだろう。けれど客は客だ、何を頼もうがどう楽しもうがそれは客の自由、アンタの好きなように飲めば良いじゃないか。
 そ、それは確かにそうですけれど。何か言いたそうな感じに徳利さんは俺から視線を逸らすと、もごもごと口ごもった。かれこれここ数ヶ月、女性のそういうはっきりしない態度が癪に障ってたまらない俺は、言うならはっきりいえよと机を叩いて怒鳴った。依然、俺の身体からアルコールは抜けていないようだ。徳利さんは酷く怯えた様子で俺の方を見つめると、何でそんなこと言うんですかとでも言いたげな目を向ける。知るか、それは昨日の夜のお前も同じだっただろうが。俺が強くねめつけると観念したのか、首の筋肉を強張らせて無理矢理に搾り出したような声で、だって居酒屋に来てるんですよ、居酒屋にはお酒を呑みに来るものじゃないですか、薦められなくてもそれは頼むのが筋ってものじゃないですか、居酒屋に呑みもしないのに通うだなんて、やっぱりそれは変ですよ、と、徳利さんは涙目で俺に言った。
 なるほど、確かに徳利さんの言うとおりだ。じゃぁさ、どうだろうこうしたら。板前さん、アンタそろそろ真面目に料理を作れよ。スーパーのお惣菜で済まさないでさ。もちろん、まっとうに食い物屋しようとしたら一人じゃ大変だろうさ。けど、ちょうど良い事に、俺はこの店に毎日手伝いに来てもいいって奴を知っているんだ。どうだい、そいつはアンタの目の前で日本酒を注文しようとしているんだがね。ぼっと徳利さんの頬が桃色に咲いた。板前もそれを見て、自分が徳利さんにどう思われているか分かったらしい。塩吹きババアが言ったように、俺よりは察しが良いのかもしれない。
 いや、しかし、その、いきなりそんなことを言われても、と、俺と徳利さんを交互に見つめては、今更歯切れの悪い台詞を板前は呟いた。そこで女声から迷惑でしょうか、などと呟かれては、男としてそんなことはないと言うほかないだろう。はたして彼女が傍に居る事で、彼が真面目に板前をするようになるかは分からなかったが、酔いどれの俺ができる事はそれくらいだった。ごちそうさま、それじゃそろそろバイトがあるから家に帰るよ。俺は豪快に五平餅に齧り付いている味噌舐め星人を引っ張って、店の外へ出た。あとは残された当人同士で何とかしてくれ。すまんね、店長、また失恋だよ。