親の視点 子供の視点


 今日私の友達が友達を家に連れてこようとしました。
 一ヶ月ほど前に話をした、無職のもうすぐ結婚する友人です。


 その友人は、私の弟達とも仲がよく、「遊○王」や「デュ○ルマスターズ」などのカードゲームをするために、私が不在の時にもよく遊びに来ます。
 今日は学校の運動会で、それに参加していた彼はその帰りに、家へよりました。
 私は、彼が弟たちと遊んでいるということもあり、自分の部屋に居たのですが、ふとお茶を飲みに居間に戻ると、なにやら不穏な発言が耳に入ってきました。

友人「それじゃぁ、師匠連れてくるわ」
弟「どれくらいの人なん?」
友人「そんなに、俺とかわらへん。一つ上くらいかな」


 そういうと、弟達と共に友人は下の客間へと駆け下りていきます。
 私は、その師匠と言う人物の事が気になり、客間へと向かい、弟達にいったいどういう事か問いただしました。
 すると、どうやら、友人の友人が近くまで来ており、その人も「遊○王」をやっているため、一度会ってみないかという話になったらしいのです。


 私は、「弟達の交友関係についてとやかく口出す権利は無い」と思い一旦はそのまま部屋に帰ったものの、その友人と言う人間が信用なら無い人間だったらどうしようかと悩みました。


 もしかすると、その友人と言うのは、「遊○王」のカードゲームをやっていると言う事を口実に子供に取り入り、悪さをする人間かもしれません。
 もしかすると、その友人と言うのは、私達の家を物色し金目の物を盗み取っていく、もしくは盗みに入る算段を立てるための下見にやってきた泥棒かもしれません。
 もしかすると、その友人と言うのは、本当にカードとゲームが好きな純粋な人で、今回友人の友人の家になんの挨拶もなしにやってこようとするのも、カードゲームが好きすぎて頭の回転が鈍くなっていただけかもしれません。


 こんな、何も知らない人間を、私達の生活の場である家にずかずかと上げていいものなのでしょうか。
 弟達と面識を持たせていいのでしょうか。


 子供の交友関係に口出しするのは、親や年長者としてどうかと思います。
 たとえば、とてもテストの点数が悪い子がいたとします。けれどもその子はとっても優しくて正義感のある、すこし世渡りが不器用なだけな子かもしれません。
 たとえば、とてもテストの点数が良い子がいたとします。けれどもその子は実はとんでもなく倫理観の無い子で、影で誰かを苛めていたり万引きをしていたりする子かもしれません。
 たとえば、自分の息子を苛めていた子が居たとします。けれどもその子はちゃんと叱ってあげれば分かってくれて、自分の息子の無二の友になるかもしれません。
 たとえば、自分の息子ととても仲の良い子が居たとします。けれどもその子はひょんなひょうしに息子と仲違いをし、自分の息子をいじめて死に追いやるかもしれません。
 このように日々刻々と進む時間の中で、うわべだけ・今だけを見て、交友関係と言うものの良し悪しを判断するのは難しいのです。そして、そこに、当人達の感情が含まれる事を考えれば、簡単に「あの子とはつきあうな」とは言えないでしょう。


 しかし、今回の場合については、弟達は友人ですらないのです。
 確かに、今回我が家で一緒に遊ぶ事により、弟達からの一方通行な友情は芽生えるかもしれません。
 しかし何故その場所が我が家で無ければいけないのでしょうか。
 その友人の家や公共の場など、適切な場所が他に幾らでもある中、なぜ我が家でなければいけないのでしょうか。
 そして、赤の他人の家にズケズケと、まるで悪徳セールスマンの如く入ってくるような人物を、安心して我々家族は客間にあげていいのでしょうか。
 やはり、「何が起こるかわからないから、知らない人間を家にあげる事はできない」のでは無いでしょうか。


 結局、私はこの家の「働かない厄介な居候」に過ぎないため、この家の城主である父に判断を仰ぎました。
 答えはやはり、「知らない人間を家に入れる事はできない」とのこと。
 そこで、折角スポーツカーでやってきてくれた友人の友人に、丁寧に家に入れられない旨を伝え、お引取り願いました。
 あくまで、友情を深める場として我が家を提供できないとの事だけで、弟たちとの交友関係の是非については口出しは無用と、後は15歳の弟に任せ私は家に戻りました。
 もし、弟がその実の兄よりも歳の離れた人間を、胸を張って友人だと父や母に紹介できるなら、その時はその時です。暖かいお茶の一つでも、弟の兄として出してあげましょう。
 もちろん、「いきなり家に上がろうとした怪しい奴」から、私との関係はスタートですが。


 今回の件に関しても、結婚に関しても、すこし友人は浮ついています。
 今後もこのようなことがつくようならば、私としても彼との付き合い方を考える必要があるかもしれません。
 根は良い奴なんですがね……


 しかし、「駄目と言われてしょげ返る」視点に居た私が、いつの間にか「駄目といってしまい子供に気を使う」視点に居るようになっていたんですね……


蛇足(見ないほうが吉)


 「エッセイ書いて金もらう人間の気が知れねえぜ」、が信条の続々です。(久しぶりだな、この名乗り
 人の共感〜? そんなもん、近所のおばちゃんどうしで言い合ってりゃいいのに、なんでわざわざ本にする必要があんだよ。この金が欲しいだけの、○食どもが!!
 自分ができても、他人がそのとおりにできるわけねえだろ。何、調子こいて教鞭たれてんだ、小説家でもねえ普通の人間の癖に。
 本当に文才があるんだったら、面白い小説とか旅行記料理本でも書いて、人を笑わせたほうがよっぽどましなんだよ。


 なんてことを日々思ってる人間の書いたエッセイです、m9(^Д^)プギャー


 いや、実際は「何も無いところから何かを生み出すような、そういうクリエイティブな事をやろう」ってい信条なだけなんですけどね。同情とかそういうの誘って人の支持を集めるより、純粋に自分の力で勝負してこそって言う。まぁ、上でも言ってる私のチャレンジ精神が歪んでしまって出た結論です。
 しかし、その理想に、実力がついていけてない。(笑


 まぁ実際のところ、エッセイは「活字グラビア」程度に思ってます。(ぇ
 生き方をさらして、「俺ってカッコいいだろ?」とか……


 俺には全部楽天監督の奥さんに見えて仕方ありません。